歌詞 アスノヨゾラ哨戒班。 アスノヨゾラ哨戒班の読み方や意味は何?【太鼓の達人収録】|Daily Breaker

Orangestar『アスノヨゾラ哨戒班』歌詞の意味・考察と解釈

歌詞 アスノヨゾラ哨戒班

カテゴリ• また明日の夜に 逢いに行こうと思うが どうかな君はいないかな それでもいつまでも僕ら一つだから またね Sky Arrow 笑ってよう 未来を少しでも君といたいから叫ぼう 今日の日をいつか思い出せ 未来の僕ら 世界を壊すことを願うと思いきや、君との再会を願います。 そして、君を求め探し続ける。 哨戒し続ける。 「Sky Arrow」 とは直訳すると 「そら」と「矢」 おそらく「流れ星」を指しているのでしょう!ハイセンスすぎる、、、 「流れ星」といえば願い事ですよね?? そこで少年はまたしても願う、 君に笑ってほしい と そして、一刻も早く君を見つけ出し、長く君といたい。 そんな願いや決意、そしてその日見た流れ星を何度でも思い返そうと 未来を生きる無数の自分たち 僕ら に今日を忘れるな!と叫び願ったわけです。 そして、明日を生きることを決意したのです。 要約 未来や明日を嫌っていた少年が君との出会いで明日を夢見るようになる。 しかし、君と離れ、未来に意味を見出せなくなる。 そんな世界は壊してしまおう。 本心では君との再会を願う。 「願ったんなら叶えてしまえ」君の言った言葉を思い返し、君との再会を願う。 明日を生きることを決意しend 最後に いかかでしたが、君との出会いが少年を変える。 素晴らしすぎるストーリーです。 特に、「願ったんなら叶えてしまえ」 頭に残るキャッチーすぎる歌詞です。 最後は少年が病まずに無事気持ちハッピーエンド 少年が世界を壊すことを願ったifストーリーなんかも聞きたいかも、、、 orangestarさんの紹介• 蜜柑星P。 2013年4月、「」にてボカロデビュー。 使用ボカロはIA、初音ミク、ONE。 投稿直後から反響が大きかった13作目の「」にて、初の殿堂入りを達成。 続く14作目の「」がスマッシュヒット。 後に自身初の伝説入りを達成する。 2015年4月22日、1stアルバム『』にてメジャーデビュー。 2017年1月18日、2ndメジャーアルバム『』を発売。 2017年4月1日、自身初のライブをもって、活動休止宣言。 同年8月31日、初音ミク10周年記念アルバム『Re:Start』収録曲「」を投稿。 しかし今度こそ活動休止らしい。 殿堂入りをした曲は以下の通り。 私自身が感じた事とはまた違った視点での考察で大変面白かったです。 誠に僭越かつ勝手ながら私の考察も読んで頂きたいなと思い書かせていただきます。 私はこの作品に「戦闘機とパイロット」並びに「特攻隊」というイメージがすごく強く関連していました。 それは「哨戒」という言葉からですが、この哨戒という言葉は戦時中においては照らすという行為でも有りました。 海原を夜に敵戦艦がいないか飛行機に乗りながら照らしていたためです。 つまり、「アスノヨゾラ哨戒班」は明日に希望があるという意味にも捉えられると思いました。 しかし、曲の出だしから1番の終わりにかけては主人公が明日に希望を持てないでいるところから始まり、「君」に出会って希望を持てるようになったという表現だと思います。 2番からの「あれから世界は変わったって」は「君」が特攻により死んだことを意味してると思いました。 ここからまた主人公は絶望を感じるようになります。 しかし思い出す「君」との記憶や作中一の名言で勇気付けられ立ち直ります。 「また明日の夜に逢いに行こう」は主人公も明日には特攻で死ぬことを意味してると思いました。 さて、この動画のPVは天空から海原へと少女が落ち続けている動画ですが、実は背景に注目すると見方が変わります。 ラスサビの「またね」の部分で背景の上下が入れ替わります。 つまり海原から天空へと。 これは「またね」の部分で特攻により死んだことや天国にいる「君」に近づくなどの意味があると思いました。 最後の「今日の日を思い出せ未来の僕ら」は終戦後に生まれた世代に戦争の悲劇さを伝えていって欲しいという願いでもあるかなと思いました。 長々と書かせて頂きましたが、1つの視点としてはなかなか筋が通ってる解釈だと自負しています笑 これを読んでまた新しい解釈を書いて頂けたら幸いです。

次の

96猫 アスノヨゾラ哨戒班 歌詞

歌詞 アスノヨゾラ哨戒班

本日8月19日20時37分をもって、アスノヨゾラ哨戒班は投稿5周年を迎えました。 (Youtubeには後日投稿なので、ニコニコ動画上での換算) 5周年かぁ…筆者がこの曲を知ったのはなので正確にこの5年間をこの曲とともに過ごしてきたわけではありませんが、それでも感慨深いものです。 Twitterではしばしば「古のオタクに刺さる曲〜」などとして黎明期のボカロ曲を載せたツイートがバズったりしますが、あと数年もしたらアスノヨゾラやウミユリ海底譚、ECHO、ビビカセあたりもこのラインナップに 駆り出されるのでしょう。 逆にまだまだ現役で聴かれ続けている限りは大丈夫ということですね。 さて、筆者はこれまでもOrangestarやアスノヨゾラ哨戒班についてのnoteをいくつも書いてきました。 もったいぶる必要もないのでさっそく発表します。 わたしが「アスノヨゾラ哨戒班」の詞でいちばん好きな1文字は… 2番サビ冒頭 また明日の夜に 逢いに行こうと思うが の「思うが」の 『が』 です。 (ここで全世界のアスノヨゾラファンからの「分かる〜」「それな〜〜〜」の声、拍手喝采、スタンディングオベーションが起こる) ・・・えっ!?分からない!? 仕方ないので説明しましょう。 と言っても説明するのはむずかしく、 「ここの『が』、なんか知らんけどめっちゃ好きだ」という 感情がまずあり、その感情が自分の中で発生している仕組みを後付けで考察しているだけです。 神は「ここすき」と言われた。 すると「すき」があった。 と『創世記』第1章第3節にもあるように(ない)、現象というのは神を持ち出さない限りは常に理由に先立ちます。 感情の発露というのも物質世界で起こるひとつの現象に過ぎませんから、「好き」の理由を求めるのはその名の通り"求める"行為、本質的に後付けのものでしかありません。 しかし、後付けだからといって好きな理由を分析する意味がないわけではありません。 言葉によって感情を解きほぐすことで、自分でも見えていなかった感情の一面が明らかになり、より豊かな「すき」へと昇華させることができるのです。 そうして新しく生まれ変わった「すき」も現象でしかありませんが、もとの現象よりも一歩豊かになっているという点において、価値は大いにあります。 閑話休題。 「また明日の夜に 逢いに行こうと思うが」の 『が』が好きだ、という話でした。 ここは2度目のサビ冒頭ということで、曲全体のなかでもいちばん盛り上がる部分になります。 なぜ「が」の1文字がそんなにピンポイントで好きかと言えば、 ・歌詞の流れとしてここの文節末に「が」が来るのに少し 違和感を覚える ・それでも歌のリズム的にはこの「が」でしかあり得ないような ドンピシャなハマり方をしていると感じる からです。 つまりは「 違和感と納得感が同時に感じられる」のです。 サカナクションの山口一郎氏が言うところの「よい違和感」という観念に近いかもしれません。 ひとつずつ説明します。 接続助詞はこの後に来る文との橋渡しを担っているため、後の歌詞もまとめて表記しましょう。 また明日の夜に 逢いに行こうと思う が どうかな君はいないかな つまり、「また明日の夜に逢いに行こうと思う」という文と「どうかな君はいないかな」という文を 「が」は繋いでいるわけですね。 さて、このような接続助詞の「が」には大きく分けて3つの用法があるようです。 (引用元:) まず、ここでの「が」は並立の関係を表すものではないでしょう。 すると1番目の「確定の逆接」か2番目「単純な接続」のどちらかになりますが、どちらなのか判断するのが結構むずかしい。 「(君に)逢いに行く」ということから当然「君」がそこに「いる」ことが予想されるにもかかわらず「君はいないかな」と続くため、確定の逆接のような感じがしますが、そもそも「逢いに行く」ことは確定しておらず思っているだけであり、しかも「君はいない」のも確定事項ではなく「君はいない"かな"」と思いを馳せ心配しているだけです。 したがって、専門家でもなんでもない筆者が判断するに、ここでの「が」は逆接っぽくみえて「単純な接続」を表す接続助詞です。 そういうことにしましょう。 というか、そもそもこの2つの用例(逆接と単純接続)の間にはゆるやかな連続性があり、バシッと 明確に区分けができないということが専門家からも指摘されているようです。 さて、接続助詞「が」は、「けれど」「けど」等の接続助詞と 置き換えが可能です。 じっさい、 また明日の夜に 逢いに行こうと思う けれど どうかな君はいないかな や また明日の夜に 逢いに行こうと思う けど どうかな君はいないかな という風に「が」を置き換えても、歌のリズムを度外視すれば「文章としては」違和感がありません。 というか、むしろこちらのほうが しっくりくるのではないでしょうか。 その理由は、 話し言葉(口語)と書き言葉(文章語)のどちらに合うか、という性質の違いに起因すると思われます。 「けれども」は、「が」と用法上の違いはなく、ほとんどの場合言い換えが可能である 中略。 話し言葉で「けれども」を用いるほうが丁寧な感じを与えるという程度に過ぎない。 一方、文章語としては「けれども」よりも「が」を用いることが多い。 なお、「けれども」は「けれど」「けども」「けど」の形でも用いられるが、この順で丁寧さが薄れ、特に後の二つはくだけた話し言葉でしか用いられない。 (参考:) ここで問題になってくるのは、 曲の歌詞は話し言葉か書き言葉か、ということです。 一般的に考え出すときりがないため、あくまで『アスノヨゾラ哨戒班』の歌詞は話し言葉と書き言葉のどちらに近いか、に焦点を絞ります。 すると、多くのひとが「 話し言葉に近い」と答えるのではないでしょうか。 「叶えたい未来も無くて 夢に描かれるのを待ってた」 「忘れてないさ 思い出せるように仕舞ってるの」 これらの部分を見れば分かるとおり、この曲の詞は 比較的くだけた口語調(独白調)で綴られています。 もう少し書き言葉に近づけようと思えば 「叶えたい未来も 無く 夢に描かれる ことを待って いた」 「忘れて いない 思い出せるように仕舞って いる」 のように丁寧にすることが可能です。 元々の「〜てた」「〜さ」「〜(する)の」といった語尾は、この詞の語り手が親しい間柄の他者、あるいは自分自身に向けて 心情を吐露していることの表れでしょう。 また、そもそも 「気分次第です僕は 敵を選んで戦う少年」 と唄っているように、この語り手は「少年」なのです。 では、こうした少年による口語調の詞において、問題となっている「逢いに行こうと思う"が"」は ふさわしいか。 筆者にとっては「思うけど」や「思うけれど」のほうがしっくりきます。 というのも、特に若者の話し言葉でこのような「が」ってあまり使わない気がするのです。 「今日予定空いてる?」 「んー、ヒマだけど」 と言う会話で、「んー、ヒマ だが」と置き換えると違和感があるでしょう?少し堅苦しく角が立った印象を受けます。 余談ですが、『未確認で進行形』の主人公である夜ノ森小紅は女子としては珍しくこうした角張った口調で話す特徴をもっています。 それが逆に彼女のチャームポイントになっているのですが、架空の人物のキャラ作りの一つとして用いられるくらい、日常会話で若者が「が」を使うことは珍しいのだと言えるでしょう。 というわけで、アスノヨゾラ哨戒班においては、 また明日の夜に 逢いに行こうと思う けど としたほうがそれまでの歌詞の口調的にしっくりくるにもかかわらず また明日の夜に 逢いに行こうと思う が としている点で違和感があるのです。 この納得感というのは歌ったときのリズムの良さということですが、そもそもアスノヨゾラのサビの部分の歌詞はかなり トリッキーな歌メロをしています。 それを最後の4小節目では「逢いに行こう」のあとで 間が空き、そして「と思うが」を一気に詰まるように歌い切ります。 つまり、サビ冒頭の4小節のなかで考えれば「思うが」の「が」は 大きく華麗なジャンプの最後の着地にあたり、ここが決まるか決まらないかというのは曲全体にとっても極めて重要な1音なのです。 これは2番のサビですが、これに対応する1番のサビを見てみましょう。 具体的には、2番のように4小節の前半を長音で占めずに、「世界の彼方」のあとで真ん中に空白(休符)があります。 そして逆に「闇を照らす魁星」の伸ばす音が最後にあります。 こうしてみれば、1番と2番がちょうど対極のリズムというか、相補的な関係にあることが分かります。 伸ばす音で終わるということは、ジャンプが続いているということであり、まだ着地させる必要はありません。 そう考えれば、2番サビの「思う が」という部分は、1番からずっと続いてきた壮大な飛翔に一区切りつける役割を担っていると誇大解釈してしまってもいいかもしれません。 まさに「たかが1音、されど1音」を地で行っています。 (ちなみに、「1番と2番の歌メロが違う」のは他のOrangestar楽曲の多くにも当てはまります。 それがもっとも顕著なのは2ndアルバムのラストトラック『八十八鍵の宇宙』で、3番までの全てのサビメロがかなり違います。 メロディメイクのセンスが溢れすぎてる。 モーツァルトかよ) ここまでは「歌」のリズムとしての納得感でしたが、純粋な「言葉」としての魅力ももちろんあります。 前述のとおり、ここで「思う が」という歌詞が来るのは文章としてみれば違和感があります。 そしてその違和感というのはあとに来る歌詞と並べるとよりいっそう際立ちます。 また明日の夜に 逢いに行こうと思うが どうかな君はいないかな そう、「思うが」のあとには「どうかな 君はいないかな」という詞が続くのです。 接続助詞の「が」がどこか堅苦しくいきなり大人びた印象を与えるのに対して、「どう かな君はいない かな」で二重に繰り返される「 〜かな」という終助詞「か」「な」の合わさった連語。 これはどこか 不安定で幼い印象を受けます。 全体としては少年の口語調なので「不安定で幼い」というのは文脈に合っているのですが、その前の「が」があるためにその不安定さ、幼さが 再び鮮やかに際立って聴こえるような気がするのです。 全体としては青くみずみずしい詞において、ただ1音だけ特異点のように違和感のある言い回しを曲の肝心なところに穿つことで、曲全体の詞が引き締まり、いっそう鮮やかにみずみずしくなる。 これが、アスノヨゾラ哨戒班において筆者がいちばん好きな1文字「が」の魅力です。 なんだか不相応に壮大な話になりましたね。 ここまで、「が」の持つ魅力について「詞としての違和感」と「歌としての納得感」という2段階に分けて語ってきました。 おそらく作詞をしている人にとって ・歌としてのリズムや響きを優先するか ・詞としての意味や整合性を優先するか という 二者択一はことあるごとにぶつかる問題でしょう。 言ってしまえば長々と書いてきたこの「思うが」という歌詞だって、もしかしたら本人が 「ん〜〜〜〜『逢いに行こうと思うけど』にしたいけどリズムが上手くはまらないなぁ〜。 ・・・そうだ!『逢いに行こうと思うが』ならピッタリじゃん!完璧!」 という風に歌としてのリズムを優先して選んだ だけなのかもしれません。 しかし、作者がどう考えて作ったのかというのは私たちの 知ったことではないし、筆者にとっては「その曲が 自分にとってどんな意味をもつか」こそがただひとつ重要なことなのです。 『逢いに行こうと思うが』の『が』というたった1文字は、筆者にとってこれくらい大きな意味を持ちました。 はじめは理由も分からないままの「すき」という気持ちから、そしてこのようにその気持ちを分析していく過程で自分にとってさらに大きく豊かで深みのある「すき」へと育っていきました。 筆者はべつにこのnoteを通じて「オレはこんなにも1文字まで曲を聞きこんでるんだぜすげえだろう」とマウントをとるつもりはありません。 さて、長くなりましたが、改めて『アスノヨゾラ哨戒班』5周年おめでとうございます。 これからもどうぞよろしくね。 そして明日、8月20日はOrangestarさんの誕生日です。 おめでとうございます。 再びあなたのやりたいことが形になった音楽を聴けるのを楽しみにしています。 それでは。 【これまでに書いたOrangestar語り】.

次の

アスノヨゾラ哨戒班 歌詞「IA」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

歌詞 アスノヨゾラ哨戒班

気分次第です僕は 敵を選んで戦う少年 叶えたい未来も無くて 夢に描かれるのを待ってたそのくせ未来が怖くて 明日を嫌って過去に願ってもう如何しようも無くなって叫ぶんだ 明日よ明日よもう来ないでよって そんな僕を置いて 月は沈み陽は昇る けどその夜は違ったんだ 僕は君の手を 空へ舞う 世界の彼方 闇を照らす魁星 「君と僕もさ、また明日へ向かっていこう」 夢で終わってしまうならば 昨日を変えさせて なんて言わないから また明日を君とこうやって 笑わせて あれから世界は変わったって 本気で思ったって 期待したって変えようとしたって 未来は残酷で それでもいつだって君と見ていた 世界は本当に綺麗だった 忘れてないさ 思い出せるように仕舞ってるの 君がいてもいなくても翔べるなんて妄想 独りじゃ歩くことさえ僕はしないまま藍色の風に吐いた幻想 壊してくれって願って踠いたって 願ったんなら叶えてしまえやって Eh... 君は言って また明日の夜に 逢いに行こうと思うが どうかな君はいないかな それでもいつまでも僕ら一つだから またねSky Arrow笑ってよう 未来を少しでも君といたいから叫ぼう 今日の日をいつか思い出せ 未来の僕ら ひいらぎの解釈 僕は、気分次第に敵を選んで戦っている少年。 叶えたい未来なんてなくて、勝手に夢に描かれるのを待ってるだけ。 そのくせ未来は怖くて、明日は嫌って、過去に縋って もうどうしようもなくなって叫んだんだ 明日なんてもう来ないでくれよって この曲の主人公「僕」は戦場で戦っている少年です。 戦ってるといっても、敵を選んで、自分の戦いたい相手だけと戦っています。 ここでいう戦いたい相手というのは、自分が苦労せず勝てる相手なのでしょう。 つまり、勝てる相手だけを選んで、自分勝手に戦っているだけなのです。 未来に希望なんて持てなくて、ただただ誰かが描いてくれる夢を待ってるだけ。 その待ってる間も、自分の勝てる戦しかしない、そんな臆病者の自分を歌っているようです。 誰かに夢を描いてもらいたいなんて思いながらも、その未来は怖い。 これだけ自分を臆病だと思っているのですから、仕方ありません。 そんな自分を変えることもできずに、どうすることもできず、 明日なんて来ないでくれと叫んでいます。 この曲はこんな未来を疎みまくっている主人公を巡る曲なのです。 君が僕の手を取っていったんだ。 先ほど、僕は明日を嫌っていました。 明日なんか来ないでくれよと願っています。 それでも、明日が来ないことなんてあるわけがなく、いつものように明日はきてしまうのです。 だけど、ここで新しい登場人物:君が現れます。 僕は普段1人で夜明けを迎えていたのでしょう。 しかし、その夜はいつもと違って、君が現れた。 そして、君は僕の手を取ったのです。 空へ舞う 世界の彼方 闇を照らす魁星 「君と僕もさ、また明日へ向かっていこう」 夢で終わってしまうのならば 昨日を変えさせて なんて言わないから また明日も君とこうやって 笑わせて ひいらぎの解釈 世界の彼方の空を舞う、空には闇を照らす一番星が輝いている 僕は言う「君と僕も、また明日へ向かって生きていこう」 夢で終わってしまうなら、辛かった昨日を変えたい そんなこと言わないから、また明日も君とこんな風に笑いたい 魁星とは北斗七星の第1星から第4星、北斗七星を柄杓になぞらえた時、水を汲み取る部分の星々のことを言います。 それ以外にも試験で一番を取った人という意味もあります。 ただここでは、闇の中で光り輝く一番星、のような意味合いで使われているのではないでしょうか。 僕はいつも通りの日常から急に君がやってきたことから、明日へ向かって生きていきたいと話します。 それまで過去に縋って生きるしかなかった僕が、明日、つまり未来へ向けての希望を見せるのです。 どうしようもなくいきていた昨日を変えたい、なんてそんな無理なことは言わない。 だから未来は君と一緒に笑いあって生きてみたい 君に出会ったことで、こんな風に心変わりがあったのでしょう。 ひいらぎの解釈 君と出会ってから世界は変わったって、本気でそう思っていた 期待したって変えようとしたって、期待した未来は残酷で それでもいつだって君と見ていた世界は本当に綺麗だった その綺麗さは忘れてなんていないよ、いつでも思い出せるように仕舞ってるだけ 僕は君と出会ってからの世界は変わったと本気で思っていました。 それまでの希望の見えない未来から、君と見る素晴らしい世界に変わったと。 しかし未来は冷酷にも残酷で。 期待したってそんな簡単に世界が変わるわけもなくて。 君と出会ってからの世界もこれまで同様酷いものだったのでしょう。 それでも君と見ていた世界は綺麗なままでした。 それは君と一緒に見ていたから。 君が隣にいたからです。 忘れることなんてなくて、僕にとって大事な思い出として心の中に仕舞っています。 きっと僕に取って、君と見た景色は掛け替えのないものなのでしょう。 君がいてもいなくても翔べるなんて妄想 独りじゃ歩くことさえ僕はしないまま藍色の風に吐いた幻想 壊してくれって願って踠もがいたって 願ったんなら叶えてしまえやって Eh... 君は言って ひいらぎの解釈 君がいてもいなくても翔べるなんて妄想だよ 君がいない、独りの状態では、僕は歩くことさえしないままで 孤独な風に君と一緒だったらと吐いた妄想だったんだ 君もいないこんな世界なら僕を壊してくれと願って、腕をもがいてしまったってできるわけもなくて 願ったなら叶えて仕舞えばいいのに、なんて君は僕に言ったんだ 僕は君と一緒に翔ぶことを知ってしまい、独りで翔ぶ怖さを知ってしましました。 君がいなくたって、思い出さえあれば翔ぶことができると思っていましたが、そんなことはあるはずもなく。 君がいなくなってしまい、独りになった僕は歩くことさえできないままで、 独りでなんでもできるなんて、孤独で潰れそうになった僕の吐いた妄想だったと気づいてしまいます。 独りの辛さに気づいてしまった僕は、君がいないようなこんな世界なら、僕を壊してしまって欲しいと。 もう何もできないなら、腕をもがいてしまって欲しいと願います。 でもそんなこともできるわけがなく、独りで進むことを選んでしまうのでした。 そんな願いを聞いた君は、「願ったんだったら叶えればいいのに」 なんて、涼しい顔で僕に語りかけます。 また明日の夜に 逢いに行こうと思うが どうかな君はいないかな それでもいつまでも僕ら一つだから またね Sky Arrow 笑ってよう 未来を少しでも君といたいから叫ぼう ひいらぎの解釈 また明日の夜にでも会いに行ってみようかななんて思うけど、 やっぱり君はいないのかな それでも、君がいなくなっても僕と君はずっと一つだから 笑っていよう 未来を君といたいと願うから、未来に向かって叫ぼう 先ほどの歌詞の中で、君は僕に向かって、壊れてしまいたいならそうすればいいのにと声をかけます。 しかし僕は、まだ君がいるかもしれないこの世界なら生きてみようと決意します。 僕は明日の夜にでも君に会いに行ってみようと思っています。 君はいないかもしれないと思いながら。 それでも僕は君と一緒だから笑って翔んでいよう、と。 独りで翔ぶことの恐怖を克服したのでした。 未来は君といたいと願って、未来に希望を持っているのです。 この曲の中で、主人公:僕は君というかけがえのない相手に出会って、別れて、それでもその思い出を胸に未来に希望を持つようになりました。 アスノヨゾラ哨戒班とは、君を見つけるためにアスノヨゾラ=未来を見て回るということなのではないでしょうか?.

次の