真っ赤 な lip。 真っ赤なLipの歌詞

WANDS第5期「真っ赤なLip」レビュー

真っ赤 な lip

約20年ぶりの始動を宣言したWANDSが1月29日、第5期第一弾シングル「真っ赤なLip」をリリースする。 表題曲のミュージックビデオが1月11日24時よりオフィシャルYouTubeチャンネルにて公開されることが明らかとなった。 本日行われた<『東京オートサロン2020』スペシャルライブ>はWANDS始動後初の東京ライブであり、その会場となった幕張メッセにて「真っ赤なLip」ミュージックビデオが先行上映された。 第5期初となるミュージックビデオの映像撮影は再始動ライブ後の12月上旬、神奈川県の某スタジオにて行われたという。 テーマはバンドとしてのカッコよさを追求し、演奏シーンをメインにしたもの。 柴崎浩のソリッドでテクニカルなギタープレイ、木村真也のアグレシッブかつエモーショナルなキーボードプレイ、そして上原大史のミステリアスで挑発的な声とまなざし。 メンバーの魅力がたっぷりと収められたミュージックビデオは、そのサウンドがよりダイレクトに感じられる仕上がりだ。 なお、「真っ赤なLip」はアニメ『名探偵コナン』のオープニングテーマとして起用されているが、そのオンエアでは同楽曲に合わせて、20年ぶりに踊るコナン君の映像を観ることができる。 オープニングバージョンほか、踊るコナン君のみがフィーチャーされたバージョンといった2種類の映像が、読売テレビのアニメ『名探偵コナン』公式チャンネルで公開中だ。 WANDSは本日24時58分から放送のTBS系音楽番組『CDTV』に出演。 真っ赤なLip 2. もっと強く抱きしめたなら 〜WANDS 第5期 ver. 〜 3. 〜」作詞:上杉昇 作曲:大島康祐 編曲:柴崎浩 ・「もっと強く抱きしめたなら 〜WANDS 第5期 ver.

次の

真っ赤なLip

真っ赤 な lip

2020. 23 NEW!! 2020. 23 NEW!! 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2020. 2019. 2019. 2019. 2019. 2019. 2019. 2019. 2019. 2019. 2019. 2019. 13 オフィシャルサイトOPEN!!.

次の

WANDS、始動後第1弾シングル「真っ赤なLip」公開&コナン君の踊ってみた動画も

真っ赤 な lip

最近、とある本で映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズは80年代当時の落ちぶれたアメリカを50年代の古き良きアメリカに書き換えることで失われたアメリカンドリームを再生する歴史改竄映画だ、という珍説を唱える映画評論に出くわした。 勿論、監督を初め製作サイドにそんな意図があったという証拠は一切ないので、デマと憶測と勝手な解釈とこじつけのオンパレードで構成された映画評論と呼ぶにも値しないゴミのような駄文だったのだが、このシングルを聴き、その評論を思い出した。 WANDSというグループは自分にとって上杉昇が居て成立するグループだった。 当時はビーイングアーティストが軒並みヒットを飛ばしまくるJ-POPの黄金期である。 その中心に居たのがB'zであることはいうまでもない。 しかし自分が最も夢中になったのはWANDSであった。 当時、根暗なガキだった自分にとってB'zは自分とは別次元の世界に住むスーパースターであり憧れはしても接点は見つけられないし、ZARDから「負けないで」と歌われても「別に何とも戦ってねえよ!」と拒否反応をしめしたものである(根暗なので)。 しかし、WANDSはどっか暗かった。 例えばデビューシングルのカップリングで既に「自暴自棄でも歌い続けたい」と複雑な心境を歌っている。 この2枚のシングルが収録されたアルバムはどんな傑作になるのだろうと思っていた。 しかし、その後全く音沙汰が無くなる。 当時はネットもなく、音楽雑誌にも情報は全く無かった。 それからだいぶ時間が経って「錆びついたマシンガン」のリリースが決まった時は狂喜乱舞したものだったが実際に曲を聴いて「何これ?」と愕然した。 シングル購入時点で上杉と柴崎が脱退していたことすら知らなかったのだ。 2人の脱退はおおっぴらに公表されていなかった気がする。 この曲のMVは逆光でメンバーの顔がわからず、確か映像の中でメンバーの名前が出てくるのだが、発売前のスポット等ではその部分が流れなかった。 上杉と柴崎の脱退を秘匿する販売戦略が行われていたと穿っても仕方あるまい。 その後脱退した2人はal. coを結成することになる。 木村真也は居ないが心配はない。 WANDS最後の2枚のシングルでも彼が何をやっているのかすら殆どわからなかったのだ。 上杉と柴崎さえ居れば問題は無い筈だ。 だが、出来上がった作品は期待に沿う代物ではなかった。 この頃になると洋楽も聴きだしたりしていたので多少耳も肥えていた。 だからこういう事がわかった。 そして作曲能力の低さは致命的だった。 彼が作曲にももっと深く関わっていれば、上杉がある程度の商業主義との妥協をしておけば、とんでもない傑作になった可能性があったが、結局al. coはこの一枚で幕を閉じた。 「上杉の音楽的才能は誰かの管理下にあることでしか活きない」と確信したからだ。 柴崎が居なくなっただけで此処まで作品の質が落ちるものかと驚いたものだ。 だが彼にそれをすることはできなかったんだろう。 商業主義の世界から離脱し、独自の道を進んでいく上杉を批判する理由はない。 ただ自分がその道に感心を向けることが無くなっただけだ。 単純に商業的な数字を見ても、WANDSファンの多くは何処かでWANDS、もしくは上杉の元から去っていっただろう。 それでも自分にとって特別だったのは商業主義と自分の求めるロックの間で引き裂かれる上杉の苦悩に当時の自分の暗い気分が繋がったからだ。 そこには今でも語るべき価値があるように思える。 個人的に偽物と切り捨てた第3期WANDSにしても、客観的に観れば「上杉によって破壊されたファンの求めるWANDSの王道を取り戻す」という意義があったような気がする。 それが失敗に終わったのは既に時代が流れていた為だろう。 TKミュージックの隆盛も下降しだし、翌年の98年には宇多田ヒカルがデビューしている。 ビーイングの時代はもう終わっていたのだ。 …そして、令和に入って再開した第5期WANDSである。 今更「ボーカルは上杉じゃなきゃ…」と言っても意味はない。 上杉が戻ってくるわけはないし、聴いてみたが新ボーカルの上原という若者の歌唱力が特筆して上杉や和久に劣っているとも思わない。 ただ印象的なのは彼の声質が上杉に似ている、という点だ。 2代目ボーカルの和久も上杉と声が似ていた(なので「錆びついたマシンガン」を最初聴いた時は上杉ちょっと歌声かわったなあとか思ってた)。 要するにこの期に及んで上杉の幻影に縛られているということだ。 SuchmosやKing Gnuといった今の若いバンドのリリックや音楽性からは現代の若者のステートメントとでもいうものを感じ取れる。 それは何時の時代も同じだ。 前述の98年からブレイクが始まったDragon Ashにはヒップホップとのクロスオーバーとともに新しい世代への喚起があった。 2000年以降のロックバンドのリリックにはセカイ系というテーマがつきまとっていた(代表的なのがアジカン)。 90年代の産業ポップには軽薄な時代性が反映されており、B'zが「止まれないこの世界で胸を張って生きるしか無い」と覚悟を決める一方で、WANDSにはそれと間で引き裂かれる上杉という文脈があった。 だがこの曲の歌詞はどうだろうか。 歌詞を手掛けたボーカルの上原の年齡はしらんけど結構若いんだろう。 20歳くらいとしておこう。 だがまるでバブル時代の日本の享楽の中で書かれた歌詞のようだ。 不景気に突入していくゼロ年代前後に生まれた若い世代が書いた詞とは到底思えない。 恐らく、リリックのコンセプトにはプロデューサーの長戸の意向が反映されているのではないだろうか。 楽曲も第1期WANDSのアップデート版といった趣だが、現代の流行とはかけ離れたサウンドだ。 時代との接点が見えない第5期WANDSとは何なのだろう。 ここで冒頭に話が繋がる。 …言うまでもない話だが上の映画評論同様、この説には何の根拠もないただの妄想である。 だが、そうとでも考えなければ、令和にも入って、日本は落ちぶれ続け、殺伐としまくってるこの時代に過去の栄光にすがったノーテンキポップをどんな気分で聴けばいいのかわからんのだ。 [追記] レビュー中にてB'zを別次元のスーパースターと評しているが、これは当時子どもだった自分が感じていたことであり、B'zにもWANDSのようなポップスターとしての苦しみは当然あった訳である。 それが自分には解らなかっただけで。

次の