加賀 賢三。 松江氏と加賀氏の問題について雑誌「f/22」が発信した様々なことについて|富樫渉|note

加賀賢三プロフィール年齢は?舞台挨拶で珍事!ブログから恨みが!

加賀 賢三

今年の頭に動きのあったこれらに対し、今書くのは自分の中で整理に時間が必要だったからだ。 単純に長いしこの問題に対して興味のない方は、お時間を取らせてしまうので閉じて頂きたい。 そしてそれが明らかにされたことは、名誉と心を傷つけられた加賀氏にとって必要不可欠なことであり、このようなことが二度と起きるべきではないと考えている。 次に、このハラスメントが真に社会的問題として問われるべきか否かという点である。 個人間で起こった出来事が映画という公の形で拡大した。 故にこの問題を「社会的なもの」であると規定する。 そして傍目から当事者間のやりとりを見る限り、認知の違いから和解に辿り着くのが不可能なのは明らかだ。 で、あるならば。 現在日本という国において「社会的第三者」と言える(そう言わざるを得ない)司法の手によって裁かれるのが筋である。 もう少し丁寧に言えば、個人間で起こった問題が、当人たちの間で解決出来ないほど捻れ、かつ社会性を帯びたのであれば「社会的な第三者」の采配のもと裁かれるべき、ということである(ただし、その裁判の結末は個人へと帰結する)。 これもまた記事になって公のものとなったことなどから、同様の理由で司法に一任すべきことと考える。 で、ここからが本題である。 まず森達也氏が参加したシンポジウムでの答えとそれに関してのリアクションについて考えたい。 このシンポジウムに参加した訳ではないので残念ながら正確な質疑の内容はわからない。 しかし想像するに、森氏が槍玉に上げられた質疑での発言は「松江氏の一件を含む、社会に蔓延する創作上のハラスメント一般について」ではなく「松江氏のドキュメンタリー撮影におけるハラスメントについて、松江氏と個人的親交の深いドキュメンタリー作家としてどう森達也は思うのか」と問われたものの答えと考えられる。 何故なら、この非常にニッチなシンポジウムに参加した質問者が、松江氏と森氏の交友関係を知らないなんてことはあり得ないからだ。 当然、後者のようなアングルとして質問されるだろうし、そのアングルの上で森氏は語らざるを得ない。 加害者の友人(身内と言い換えてもいい)に対して、ましてやこの一件に対して全ての情報を知り得ない状況、さらに公の場での質疑応答という形で問われ答えた解答には当然「加害者の友人という立場からの気持ち」が内包されている。 これが森達也の「社会的倫理」そのものとして槍玉に上がるというのはややアンフェアでなかろうか。 少なくともそこには森氏の社会的なスタンスのみならず松江氏に対する情が込められている。 いわば「社会活動家」、もしくは「一雑誌ジャーナリズム」として戦い続ければ良い。 しかし、もし後者のスタンスだと自認するならばそれはあくまで同じ立場の同業者同士による問題意識の議論であるはずだ。 「社会的に」解答や責任を同業者に問う立場にあるのだろうか。 ドキュメンタリージャパンや座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル、そして森達也を「権威」と称する行為は逆に自分たちが「権威の下にある存在」であると規定することになる。 ドキュメンタリー業界内における、ある種の「ルサンチマン」が自分たちにあることを認めている。 そんな彼らが自分たちを「社会的存在」として位置付けるか、「個人的存在」として位置付けるかでその行動や発言の在り方は大きく異なるはずだ。 」の観客にまでその贖罪の射程を伸ばしている点や、ドキュメンタリー表現の「社会的倫理」を問うてる時点で、もはや「個人的第三者」ではなくなっている。 「松江氏から対談への立ち合いを頼まれた第三者だった」と再三語っているにも関わらずだ。 彼ら自身がこの「第三者」という言葉を免罪符にしながら、問題の位相を「社会的正義」へと拡大してしまっていることに無自覚ではないか。 自分はドキュメンタリーはあくまで「表現手法」であり、報道やジャーナリズムのように必ずしも真実を明らかにし、権力を監視し、弱者を守り、さらに被写体に敬意を払ってその尊厳を守る「べき」ものであるとは定義出来ない。 ドキュメンタリーそれ自体は必ずしも「社会的」なものであるとは限らないし表現されるものが「正義」であるともまた限らない。 各々の作品においてそれらのバランスはゼロ or 100ではなく、「程度」であり、その程度の範疇で被写体との関係性を構築していく。 そのようなあやふやな表現手法だからこそ、程度の淡いで「加害」が発生するものだと考える。 ハマジム関係の作り手にも言及している点からAVというジャンルの性的搾取もまた論点に挙げられるだろうが、これについても同様で、全てのAVやドキュメンタリー的AVが全て加害的であるとは断定出来ないし、同時に全て無加害であるとも言えない。 作る上での開き直りや無自覚は確かに存在する。 しかし初めから加害者になりたいと思って創作する人間は誰もいない。 プロパガンダ作品でもない限りは。 (蛇足だが「主戦場」が被写体から訴えを受けたことも議題に上がって然るべきのような気がする) これは邪推だが、このような否定しがたいドキュメンタリー表現が持つ「業」そのものを法的に禁じられる危険性を直感的に察しているからこそ、この問題の当事者たちは互いに司法の場に出ないのではないか?もしそうだとするならばその直感は正しい。 言わずもがな表現の自由が揺るがされる可能性があるからだ。 そして松江氏が言うように唯一の贖罪はもはや司法に委ねるしかないというくらい、対談記事と松江氏のnoteの間にある認知の乖離もまた明らかだ。 そして一連の流れに対する社会一般の答えはSNS上で明白になったと言える。 皮肉にも私刑のような形で…。 ドキュメンタリー業界(そもそもそんなものがあるのか?)というあまりに弱く小さい世界の更に隅っこで、権威と名指して戦う相手は果たして「そこ」なのか? 「第三者」ではなく「当事者」としてSNS上での祭りが孕む加害性をどう考えているのか? そしてあなたたちが「正しい」と考えるドキュメンタリー表現はどのようなものなのか? そして、同じドキュメンタリーの作り手として「『絶対に』加害者にならない」作品を作り得るのかどうか? これらの答えは論でも作品でも構わない。 むしろこの社会で生きていて、絶対に加害者にならない方法があるのだろうか。 絶対的な第三者であり続けられるだろうか。 少なくとも自分にはその方法がわからないし、見つけられない。 日々怯えながら、それでもカメラを人に向けて生きている。 自ら社会的責任を問うた相手の祭りに乗っかって営利行為を行うことに対してはどのように考えているのか。 この辺りも知りたいところである。

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加賀賢三

加賀 賢三

をプロデュース』の10周年記念上映舞台あいさつのステージ上で、ある事件が起こった。 同作に「童貞1号」として出演した加賀賢三氏が、劇中で「同意なしにAV女優に口淫される」という性行為の強要があったと訴えたのである。 この一部始終は観客の一人が撮影しており、現在もYouTube上で視聴することが出来る。 事件を受け、池袋シネマ・ロサは1週間を予定していた同作の上映を中止。 当時、複数のWEBサイトがこの事件を報じたが、そこには「加賀氏が乱暴を働いた」「安全のために上映を中止した」「松江監督と直井氏が性行為の強要を否定している」といった、声明に準じた事柄が取り上げられたのみ。 しかし実際には、加賀氏は舞台上で『童貞。 をプロデュース』撮影中の性行為強要だけでなく、その後のほとんどの上映が自身の許可なく行われたことなど、作品の裏側で受けた様々な被害を訴えていたのである。 また、では、撮影前後に松江監督から受けたハラスメント行為や、制作上のヤラセなども暴露されている。 加賀氏の主張はSNSで拡散はされたものの、メディアが取り上げることはなかった。 その後、松江監督はこの事件に触れることもなく、ドラマ『このマンガがすごい! 』(テレビ東京系)といった作品を世に送り出し、雑誌などでの文筆活動も継続している。 2019年、事件から2年たった今、当事者は何を思うのか? 残念ながら松江監督・直井氏は取材に応じてくれなかったが、加賀氏はインタビューで『童貞。 をプロデュース』制作開始から現在まで、12年の間に何が起こっていたのかを振り返ってくれた。 『童貞。 片思い中だがキスの経験すらない半ひきこもり青年に、ある荒療治を施す第1部、80年代のB級アイドルに思いを寄せ、自主制作映画まで作ってしまったサブカルオタク青年が主人公の第2部から構成される。 さらに人気バンド・銀杏BOYZの峯田和伸が第1部と第2部の間に特別出演。 3年制で、松江さんは1年目にはぼくがいたのとは別のクラスを担任として受け持っていました。 ただ、その時にはほぼ関わりがなくて、作品の発表会で松江さんが講師としてコメントしているのを見ていた程度です。 バンタンでは2年目から色んな講義を選択できるんですが、松江さんは当時ドキュメンタリーのクラスを教えてらっしゃいました。 ぼくは松江さんのクラスを取りましたが、最初の1回しか講義を受けなかったので、在学時にはほぼ繋がりはありません。 そこで、「童貞とは〇〇だ」みたいな『童貞論』を語っていたんです。 (『童貞。 をプロデュース』の)童貞2号の梅ちゃん(梅澤嘉朗氏)もいて、酔っぱらって荒れてました。 ぼくが「やめろ!」とたしなめてパワーボムをかけたり、そんなことをして騒いでいたら、松江さんが「何してんだ?」と見に来たんだと思います。 そこから、松江さんとは上映会などでも顔をあわせるようになって、会えば話をする関係になっていきました。 その頃には、仕事を一緒にした記憶もあります。 たしか、松江さんが撮ったAVにアニメをつけて欲しいと頼まれたこともあったと思います。 当時、真利子哲也監督がセルフドキュメンタリーのような作品を撮ってらっしゃったんです。 体にヒモをくくり付けて、ビルの屋上から飛び降りたりする『極東のマンション』(03年)とか。 ほかにも、椅子に縛り付けられて殴られたりする、特殊メイクなしのリアル『デストラクション・ベイビーズ』みたいな作品を撮っていらして。 その影響で、ぼくも手習いとしてドキュメンタリーをやってみようと思って、自分の周りのことを撮っていました。 真利子さんはブログもやっていたので、それも面白いと思っていました。 当時はまだブログが新しい時代で、自分の身の回りのことを言葉にしていくとか、あるいは映像に収めて整理していくという作業に、何か学びがある気がしたんです。 だから、ぼくは自分が童貞であることを、ブログに書くようになりました。 そこで、「好きな子が出来た」とか、そういうことを馬鹿正直に書いていたら、松江さんから電話がかかってきて、「セルフドキュメンタリーをやってるんだって? 俺もやろうと思ってるから、一緒にやらないか?」と誘われました。 をプロデュース』に使われたのでしょうか? いいえ。 最初に松江さんから「これまでに撮ったのを持ってこい」と言われたので、撮り溜めていたものを渡しましたが、採用はされなかったと思います。 をプロデュース』の映像は、新しく撮ったものということですね。 一緒にやることが決まってから撮ったものですね。 それも、具体的に指示を受けたわけじゃなくて、松江さんに「適当に面白いものを撮ってきて」と言われて、撮影していっただけです。 『童貞。 をプロデュース』は、基本的にはぼくが勝手に撮って、テープを松江さんに渡すスタイルで作ったものです。 一つ指示があったとすれば、小岩かどこかのベンチに落書きがあったので、その写真をブログに載せたということがあったんですけど……その記事を松江さんが読んで、「これを撮ってきて」と言ったくらいです。 そうです。 基本的にはぼくの自撮りなので。 セルフドキュメンタリーとして独りで撮っていたときって、「何のためにやっているのか?」と疑問を感じたり、迷いがあったりしました。 そこに第三者の視点が入ることによって、作品になる確信が得られると思ったので、松江さんの話に乗ったんです。 当時のぼくは、ドキュメンタリーをやっている人に対して怖いイメージを持っていたので、「騙されるんじゃないか」という不安もありました。 だから、当初から松江さんには「話をしながら進めていく」「嫌なことはしない」と念を押して、慎重に進めることを確認していました。 そういう経緯があったので、最初は安心して参加していました。 『ガンダーラ映画祭』は、当時イメージリングス(自主映画上映団体)を主宰していたしまださん(しまだゆきやす氏/故人)が始めた上映イベントです。 いまおかしんじ監督とか、山下敦弘監督も参加されていたと思います。 だから、「しまださんの上映会に出す」程度の認識です。 のちにネットニュースで知ったことですが、松江さんは色んなところで、「制作費はテープ代の1~2万円です」とおっしゃっているようです。 その金額と同じかどうかはわからないですけど、カメラもぼくのものですし、テープもぼくが買ったものです。 交通費も、自分周りのものはぼくが出しています。 (性行為強要が行われたという)ホテル周りの経費はわからないですけど。 そこはドッキリのような形で撮られていて、ぼくが準備したわけではないので、わかりません。 クリスマスに男ばかりで『明石家サンタ』を観ているところだったり、バッティングセンターに行くところを撮ったり。 作為的にお芝居をするわけではなくて、わかりやすいものを嘘のない範囲で撮ってくる。 そういうことを続けていたら、ある日、松江さんが「AVの現場に取材に行こう」と言い出しました。

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松江氏と加賀氏の問題について雑誌「f/22」が発信した様々なことについて|富樫渉|note

加賀 賢三

フェイクドキュメンタリーという名のやらせ演出で、調子に乗ってテレビドラマまで撮るようになった元AV監督のくせに文化人きどりのが、『』の出演者から性的暴行で告発された。 こんなクソ映画を誉めそやしてきたバカどもはみんな腹切って詫びろ。 池袋『』 上映後の舞台挨拶にて大事件。 出演した加賀さんが監督に撮影時の怨みがあるからお詫びにしろと掴みかかりスタッフが止める…。 写真はようやくパンツを上げてくれた加賀さん。 — ヒロシ ganymedes1983 ・2005年12月~2006年1月『』が撮影される。 ・はで講師をしており、出演者はその生徒たち。 ・2007年10月31日、出演者の加賀賢三氏が撮影時のヤラセと性的暴行をブログで暴露。 ・同映画はフィクションなのに「ドキュメンタリー」と銘打たれている。 ・再三に渡って出演を断ったが、ゴリ押しされた。 ・な悪役にされた。 ・初対面の人たちの視線の中、的な状況下で恫喝され性暴力を受けた。 ・梅ちゃんのゲロは、松江監督がローションとスポーツドリンクを混ぜて吐かせた偽物。 そんな中、松江さんから「俺がセッティングするから、AVの現場へ取材に行こうよ」と言われ、自分のカメラを持ってAVの撮影現場へ取材に行くことになりました。 初めて訪れる事務所へ案内され、初めてお会いする松江さんの知り合いのAV関係者の方たちに挨拶をして取材はスタート。 その時点でぼくは断ったのですが、密室で初めて会う人々に囲まれる中、松江さんから「早くしろよ」「みんなお前待ちなんだよ」「お前のせいで現場が進まねえんだよ」「俺に恥かかせんなよ」「松尾さんを待たせるなんて、お前いい度胸してるな」等々を言われ、それでも断っていたのですが、「じゃあのフリだけでいいよ」と提案され、そういった恫喝によって判断力が疲弊していたのもあって、さすがに断りきれず渋々ながら形だけのポーズを取らされたのです。 そうして始めはフリだったはずが、不意打ちでいきなり本当にをされたので、ぼくは「やめましょう」と言って女優さんを引き離しました。 すると周りにいた男性に羽交い締めにされ、無理やりされる様子を撮影されたのです。 (加賀氏のブログから引用) がやったのはこれこそ典型的なAV出演強要の手口である。 はAV業界で働く中でこうした強要の手口を学習し、身につけ、自分でも使うようになった。 第96条によれば、詐欺または強迫による意思表示は取り消すことができるので、被害者があとになってこの契約を取り消したってかまわない。 ・映画祭出品上映に限って譲歩したのに、その後も劇場公開を強行される。 ・テレビで勝手に映像を使う、DVD化の話、とカレート。 ・に罪の意識がない以上、怒ろうにも怒れない。 僕は人にバカにされたりするのは馴れっこだから、別に僕の見た目とか気持ち悪さを笑ってもらう分には全然構わないし、寧ろそれで誰かがハッピーな気持ちになれるのなら僕は嬉しい。 でも、何も知らないクセに僕の周りの人を悪く言うのだけは許せないし、松江さんが自らの上位承認欲求を満たす為だけに、人前で何の根拠もなく平気で人を貶めるような言動をしたことも僕は我慢ならない。 今思えば、その時何も言えなかった自分が本当に悔しい。 もうキレイゴトはうんざりだ。 要は作品がどうのこうのという以前に、僕はあの強烈な自己愛からくる他人への侮蔑と歪んだ選民意識が反吐が出る程気に入らない、ってだけだ。 (加賀氏のブログから引用) 『』は、最初は下北沢の小さいギャラリーで、40人~50人くらいで上映。 それが池袋ので2週間、さらに3週間の上映。 つぎに渋谷の。 その後、8月になると池袋で毎年上映されてきた。 そしてこの夏、10周年記念の連続上映が企画されたが、初日の舞台挨拶で事件は起こる。 以降の上映は中止に。 この流れ、じわじわくる。 『』この後21:00より。 そういったものを上映していながら、そんな言い分はおかしいと思わないですか? あまりにも身勝手です。 — AV学 subculAV.

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