慰安婦。 元慰安婦に告発された支援団体は「腐敗しきっていた」 元慰安婦「私ではなく友の話」と暴露

元慰安婦団体が内部分裂したのはなぜか?「韓国の聖域を“操縦”する女性活動家たちの実像」研究者現地インタビュー

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元慰安婦が支援団体の活動に疑問を呈し、告発を行ったためだ。 告発したのは元慰安婦の李容洙(イ・ヨンス)氏(92)。 李氏は、元慰安婦としてさまざまな活動に参加してきた代表的な人物だ。 李氏から疑惑の目を向けられたのは、尹美香(ユン・ミヒャン)氏。 尹氏は慰安婦支援団体を長らくリードし、日本政府に対しても強く抗議し、元慰安婦への国家的謝罪と賠償を強く求めてきた運動家だ。 2020年4月15日の韓国総選挙で当選している。 その尹氏をはじめ支援団体に向けて、現在さまざまな疑惑の目が向けられている。 浮かび上がった正義連の不正会計疑惑 「お腹が空いたのでおいしいものでも買ってくれないかと言っても、『金がない』と言われた。 そんなものか、と思い、自分を納得させてきた。 ところが、教会に行けば金をくれたのに、そんなことも知らず30年間生きてきた」 元慰安婦の李氏は5月25日に行った記者会見の場で、このように打ち明けた。 李氏は16歳の時に台湾の日本軍部隊に慰安婦として送られた。 この事実を1992年、当時の挺対協の幹事をしていた尹氏に打ち明けた。 挺対協とは、現在は「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)の前身となる組織だ。 その後、2人は30数年間をともに過ごした。 日本政府による公式謝罪と賠償を要求するため、毎週水曜日にソウルの日本大使館前で集会を開いてきた。 そんな2人が今なぜ対立しているのか。 最初の問題は、正義連の不正会計疑惑だ。 李氏は5月7日に最初の記者会見を開き、正義連が集めた支援金の使途が不透明だとの疑惑を提起した。

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「まずいな、と思いました」30年寄り添った日本人が語る「慰安婦問題」の真実

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そう語るのは、日韓でベストセラーとなった『反日種族主義』の共著者で、韓国近現代史が専門の研究者、朱益鍾(チュ・イクチョン)氏だ。 韓国社会を揺るがしている、元慰安婦支援団体「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)の寄付金などをめぐる一連の不正疑惑。 5月29日には、正義連前理事長の尹美香(ユン・ミヒャン)氏が会見で疑惑を全面的に否定したが、検察の捜査は続いている。 同書で挺対協についてのパートを執筆した朱氏に聞いた。 数々の疑惑から、韓国国民が「正義連は本当に元慰安婦の名誉を回復し、傷を癒すことが目的の団体なのか」と疑問を抱く機会になりました。 それまで韓国では、彼女たちに疑問を持つ機会すらありませんでしたから。 元慰安婦たちと正義連は一心同体ではなかったのでしょうか? 1990年11月に挺対協が設立された時点では、元慰安婦のハルモニ(おばあさん)たちと、女性活動家たちの関心事は一致していたように外部からは見えました。 とはいえ、両者の背景は大きく異なっていました。 挺対協に集まった支援者は、社会学者や女性活動家などのエリートで、名門の梨花女子大出身者が主導していた。 高齢のハルモニたちの意見より、活発なエリート運動家たちの要求が優先されるようになっていったのは当然の成り行きでしょう。 会社に例えるなら、元慰安婦が「株主」で、女性運動家は雇われた「経営者」。 本当の会社なら株主総会で株主が経営者を選ぶ機会がありますが、挺対協にはそんな機会はない。 そうなると、経営者は株主の利益を追求しなくなっていきますよね。 いつの間にか運動家が、元慰安婦を率いていく形に逆転してしまったのです。 ハルモニの中でも、李容洙氏はとても政治性の強い方なんです。 「彼女は運動家になった」と言う人もいたほどで、元慰安婦のハルモニの中でも積極的に活動していた。 ですから、「李容洙氏が善で、尹美香氏が悪」という簡単な話ではありません。 李容洙氏は挺対協と一緒に最前線で慰安婦運動に参加して、アメリカの議会で演説までした尹氏の同志です。 ただそんな彼女ですら、尹氏に対して「利用された」と発言せざるを得ない状況だったとも言えます。 過去にこんなことがありました。 「アジア女性基金」が1995年に作られたとき、日本側が元慰安婦のハルモニたちにお金を受け取ってもらえるように説得していました。 その結果、97年1月には7人のハルモニがお金を受け取った。 ハルモニたちは高齢で、この問題に恨みを持っていても「ある程度の線で自分の要求が解決されればいい」という思いもあったのです。 ところが挺対協は、彼女たちを非難した。 「そのお金を受け取れば日本政府に免罪符を与える」というのが理由です。 そのとき、当時の挺対協の共同代表だった尹貞玉(ユン・ジョンオク)・梨花女子大教授の言葉が忘れられません。 「アジア女性基金のお金をもらう人(ハルモニ)は、自ら進んで出かけた公娼であることを認めることと同様だ」 そこまで侮辱的な発言をしたのです。 そんな風に糾弾をされたら、ハルモニたちは、慰安婦運動家たちの論理に合わせて動かざるを得ないですよね。 97年の時点で、すでに元慰安婦と女性活動家の関係が主客転倒していたのです。 その20年後にも同じ事態が起きました。 2015年に朴槿恵大統領と安倍首相との間で交わされた慰安婦問題についての日韓合意のときです。 この合意でも当時生存していていたハルモニたち47人中34人がお金を受け取っていました。 支給を担当した「和解・癒やし財団」は慎重に作業をしていて、ハルモニたちに個別に接触し、一人一人の意思を確認して支給しました。 しかし、挺対協はこのときもまた、お金を受け取った人を「罪人」のように扱った。 メディアも、少数でも声の大きい挺対協に同調するハルモニを取り上げるので、あたかも合意反対派が多数派のように報じました。 結果として、挺対協という一民間団体が拒否したことで、合意そのものも無力化されてしまいます。 そうやって元慰安婦たちは、運動家の主張を代弁させられていった。 慰安婦や韓日関係についても、挺対協と文在寅政権の問題意識は同じだと思います。 つまり、慰安婦問題を拡大させて韓日関係を危うくしたいのです。 先に触れた2015年の日韓合意は、朴槿恵政権下で行われましたが、合意後の実務を担う「和解・癒やし財団」を解散させたのは、文在寅政権です。 この解散によって、合意は事実上破棄されたことになりました。 国家の姿勢として大きな問題なのは、「事実上」の破棄であって、公式には破棄していないことです。 破棄を宣言もしないし、再交渉の要求もしない。 慰安婦問題を元の状態に戻して、問題が悪化すればいいと思っているのでしょう。 左派の盧武鉉政権でも金大中政権でも、日本と慰安婦問題を解決するための交渉はしなかった。 交渉を放置して、解決されていない状態を継続することで、国民を「反日」に駆り立ててきたのです。 本来、文在寅政権は4月の総選挙で圧勝し、やりたいことは全部できる政治情勢なのです。 にもかかわらず、正義連も一連の疑惑前に政府に「慰安婦問題を解決せよ」と強く要求する様子もなかった。 これまでの左派政権と同じです。 実際に慰安婦問題が動くとしたら、やはり政権が変わらなければならないと思います。 韓国人が持つ「反日」感情の大きな部分が、この慰安婦問題を通じて形作られていますから。 1995年の「アジア女性基金」、2015年の「日韓合意」と2度にわたって韓日政府が苦労をして作った合意を「反日」扇動を通じて無効にし、韓国国民に日本が過去の歴史に対して謝罪しないかのような認識を植えつけました。 この経緯をみれば、正義連はすでに「慰安婦問題の解決に関心を持っている団体ではない」と分かると思います。 戦時中に受難を経験して、やっと告発者として立ち上がったハルモニたちを前面に出している運動に対して、誰でも異議を唱えにくい。 その状態が長く続いてしまい、誰も批判できない団体になっていたのです。 正義連が持っている権力は、そんな「世論の権力」でもあったのです。 しかし、それは間違いです。 会計だけ透明化しても、慰安婦運動が正当性を持つわけではないからです。 韓国メディアは、いまだに挺対協を恐れて、運動自体を批判することは躊躇しています。 しかし、彼女たちの慰安婦運動が本当に慰安婦のためのものではなく、韓日関係を仲違いさせるための政治運動である点を追及して、韓国国民にしっかりと知らせてもらいたいです。 (「文春オンライン」特集班/Webオリジナル(特集班)).

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1日に何十人もの米兵と……! 歴史の闇に葬られた「日本の慰安婦」たち

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挺対協の罪は大きい。 はたして挺対協とはいかなる組織なのか。 彼女らの実態をよく知る日本人がいる。 その女性の名前は臼杵敬子氏という。 ライターとして女性問題に関心を深く持っていた臼杵氏の人生は、1990年に韓国太平洋戦争犠牲者遺族会の被害者たちと出会って一変する。 臼杵氏はその後の半生を、遺族会を支援するための活動に費やした。 90年代から議論が始まった日韓歴史問題を、最も間近で見つめてきた日本人の一人であるともいえよう。 臼杵氏は支援活動のなかで多くの元慰安婦との交流を持ち、2007~2017年春までは、元慰安婦を巡回し福祉支援を行うという外務省フォローアップ事業の民間担当者としても尽力してきた。 ある意味では韓国人より元慰安婦に寄り添ってきた女性である臼杵氏の、最大の障壁となったのが挺対協だったーー。 本連載では臼杵氏が見た、なぜ慰安婦問題が歪んでしまったのか、その真実について回想してもらう。 そして挺対協とはどのような組織だったのかを、当事者として批評してもらおうと考えている。 でも、後述しますが私にとっては、その前にも元慰安婦だと名乗り出た女性はいたので、第1号という感覚はありませんでした。 私が金学順さんと出会ったのは91年11月25日のことでした。 私たちは「日本の戦後責任をハッキリさせる会(通称・ハッキリ会)」を結成して、韓国人の戦争被害者で作られた太平洋戦争犠牲者遺族会を支援する活動を行っていました。 太平洋戦争犠牲者遺族会は91年12月6日に、東京地裁で日本政府に対して〈戦後補償〉を求める提訴を行いました。 その準備の為に、私たちが被害者のヒアリングを行っているなかで出会ったのが金学順さんでした。 金学順さんは挺対協の調査を受け、91年8月に実名で慰安婦と名乗り出た女性でした。 その後、彼女は私たちの活動を知り、太平洋戦争犠牲者遺族会に「裁判をするなら私も原告になりたい」と言ってきたようでした。

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